十月十日



先週の土曜日に嫁さんの定期健診に行った。
8ヶ月と2週目。お腹もかなりデカくなってきた。

実はまだ性別が分かっていなかったのだが、今回エコー写真の中に、足と足の間に挟まれた二つの「玉」を発見。
とにかくボンヤリしていて良く分からないというのが正直なところだが、どうやら男の子の可能性が高いように、自分では思う。(ちなみに嫁さんはまだ女の子だと信じたいみたい)


最近、ようやく父親になる実感が湧いてきた気がする。
男は特に、自分の体に新しい生命が宿るわけではなく、勿論つわりも体調の変化もまったくないわけで、妊娠初期〜中期くらいまでは、どうしても親としての自覚が生まれにくいと言われる。


ぼく自身もそうだった。
勿論子供ができたことは嬉しいし、父親になることに対してある種の達成感のような不思議に甘ったるい感情は芽生えなくはない。
でも、だからと言って自分自身の環境はなにも変わらないし、仕事などの生活もまったく普段通り。
一歩家を出ると、それこそ独身時代となんら変わらない景色とリズム。
つまりは、ピンとこないってこと。


でも、嫁さんの体と心が次第に変調し、出産予定日が近づいてくるにつれ、色んなことが変わってくる。
妊娠前後で最も違うこと、それは、夫婦間に生じるトラブルの数。
他の家庭は知らないが、ウチではそうだった。
とにかくケンカが増えた。
妊婦独特の精神面での不安定と、のほほんと以前と変わらぬ生活を送るぼく。
頭では分かっていても、なかなか感情面では折り合えないものだ。


さらにタチの悪いことに、妊婦とのケンカは1vs1のフェアな戦いではない。
常に嫁さんの背後には(正確にはお腹の中には)、生まれ来る我が子の影がちらつく。
そうすると、ケンカすら、素直にはできなくなる。
深まる溝、ねじれていく関係。


妊娠中期を越えると、もう少し関係がスムーズになった。
ぼく自身も「嫁さんと生まれ来る子供」を抱えた大人の男としての自覚もよりはっきりとして来るし、嫁さん自身も「妊婦であるということ」に慣れてくる。自然、互いの関係もこなれてくる。


で、後期。
もうぼくには、ふわふわした拠り所なき不安はない。
間もなく生まれ来る我が子に会うその日の喜びを想像しては、明日への活力に変えたりなんかして。


つくづく思うこと。


何故妊娠期間は、十月十日もあるのだろうか。


医学的には、赤ちゃんが外界に出てこれるようになるまで育つ期間、ってことになるのだろうが、ぼくはそこに別の意味を見出している。


十月十日は、単なる「オトナ」が「親」になるために必要な時間なんだ、と。


赤ちゃんがお腹の中で栄養を蓄えて準備しているのと同時に、赤ちゃんを作った二人の「オトナ」も、一生懸命我が子を迎える準備をする。


十月十日かけて。


ゆっくりと。

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++ from a.s
++ get slow life,
++ and smile.

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