我々はGoogleだ。我々を告訴してみろ



いまや競合他社なき環境下で、相変わらず突っ走り続けるGoogleに関する面白い記事。

と刺激的に題された、Googleと同社が抱える山ほどの訴訟について切り込んだNYタイムスの記事は、要約するとこんな感じになる。

日々何百万ものユーザーを惹き付けてやまないGoogleは、著作権違反、商標権侵害関連の訴訟を多く抱えている。
「革新」を求めるGoogleは、「革新」のためなら如何なる法的なリスクにも挑戦する。


例えば、書籍検索において本の中身の一部を見ることのできるサービスや、Google Newsでのコピー・写真の流用などは、いまだ一部の権利元の理解を得られていない。


90年代、インターネットが普及し始めた時に取り沙汰された自由と権利侵害の問題、googleは現在においても、それと同様の方針を貫いている。


YouTubeの買収は、新たな訴訟の洪水をGoogleにもたらすだろう。
しかし、Googleは、「ユーザーの著作権侵害行動はサービス側の責任とはならない」という過去の判例を根拠に、この懸念を一蹴している。


またGoogleはここ数年、自社の法律部門に数億の投資を行い、現在同社の法律部門は100人のお抱え弁護士と外部弁護士からの助言で成り立っている。


Googleの主な収益源となっているAdwordsサービスについても、キーワードを巡る訴訟が行われ、勝利したGoogleは、あらゆるキーワードを自由に購入することを許す権利を得た。


一部のポルノサイトからは、イメージ検索上に画像のサムネイルを表示させることに対して訴訟を受け、地方裁判所Googleの非が認められた。(現在同社は控訴している)


Googleは、他者からの攻撃に対しては、検索結果からの削除という手段で報復することができ、そのような事象に関する訴訟も受けている。


Googleの経営理念である、

  • 世界の情報を組織し、それらに簡単にアクセスできるようにすること

を実現するために、Googleは自分達を人類に火を伝えたプロメテウスになぞらえさえしており、だからこそ非常に大胆に物事を進めていくのだろう。


一個人が一国の政府と戦えないように、誰もGoogleと戦えなくなっている。
Googleはまるでインターネットの政府のようだ。


(以上、ぼくの拙い翻訳&要約なので、多少の不一致はスルーの方向で)


Googleが何故革新的なサービスを次々に発表し、人々を驚かせることができるのか。


それは、法律や規制、また業界内の暗黙の了解などによって保たれたバランスを尊重せず、ただひたすら革新的な技術に裏打ちされたサービスを展開することだけを重視し、実行しているからと言えるだろう。
「やりたいことだけを好き勝手やる」ことのリスクヘッジとして、100人の優秀な弁護士達がいる、というわけだ。


個人的に著作権に深く関わる仕事をやっていた身としては、日本企業との対比によってGoogleの姿勢がより浮き彫りになるように思う。

  • 一般的な日本企業
    • 著作権・法律の遵守を最優先し、むしろ「訴訟されること=社会的な死」であるかのように、少しでもリスクがある部分は徹底的に避ける
    • 権利者が何よりも偉く、権利者が「白」と言ったら、黒いものでも白くする。例えそれが権利の範疇外であっても
    • 精神構造が契約重視型でなく、人間関係解決型・根回し/談合文化なので、権利者にこびへつらうことにより、求めるものを実現しようとする
    • 裁判をすれば勝てるような事柄であっても、権利者または業界実力者の個人的な見解を重視する
    • 前例踏襲主義かつ横並び主義のため、何かのきっかけでとある権利が解放されたら、一斉に飛びつく。「きっかけ」は大体の場合法律等の合理的要素でないことが多い
    • 著作権や商標権に対して、自分(自社)としての確固たる見解がない。あったとしても、外部にそれを主張することはない。あくまで、「権利者様のおっしゃるがまま」

ちょっと極端に書いてるけど、まあ、大枠間違ってはいないと思う。

  • それに対してGoogleの場合は、
    • 法律の解釈は自社で作るもの
    • 自社見解で問題なさそうだったら、事前の根回しなくサービスを始めてしまう
    • 自社見解で問題なさそうだったら、どんなに大胆なことでも実現する
    • というか、どう考えても問題ありそうな事柄でも、法律をこねくり回して正当化する
    • サービス開始→驚き→訴訟のサイクルは、半ば計算されたものであり、だからこそ同社は法律部門を徹底的に強化している

まさに狩猟民族って感じだね・・・


どちらが正しい、という議論は人それぞれだろうが、日本にGoogleが現れない理由は、単に技術的な問題だけではないのだろう。


そもそものビジネスのやり方・考え方が、日本人には「有り得ない」ものなのだから、日本人はやはり日本人らしい(農耕民族らしい)やり方ってのがあるような気はする。


ココのエントリも参考になるかも。

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